地域と連携して進化する老舗クラシックホテル
取り組み内容
富士屋ホテルは、1878年(明治11年)箱根宮ノ下に誕生した日本初の本格的リゾートホテルです。創業者の山口仙之助氏が築いた1棟の洋館は、火災で消失したり地震などの自然災害に見舞われながらも、度々の増改築を経て、本館、西洋館、花御殿、フォレスト・ウィングの4つの建物からなる壮大な建築群のホテルになりました。過去にはチャップリンやジョン・レノンのほか国内外の数々の著名人が宿泊した履歴も残っています。1997年(平成9年)には本館をはじめ建物の多くが登録有形文化財として登録されました。2020年(令和2年)には、2年にわたる大規模な耐震補強および改修工事を経て、箱根を象徴するホテルとして装い新たにリニューアルオープンしました。
宮ノ下の歴史を振り返ると、富士屋ホテルが街のインフラ整備についても尽力していることがわかります。小田原から塔之沢までの道路の開削が進むなか、塔之沢・宮ノ下間の道路7kmについては創業者・山口仙之助氏が地元の方と協力し力をつくしました。その後、富士屋自動車株式会社を設立し1914年(大正3年)には乗り合い自動車の運行を開始、箱根宮ノ下へのアクセスの基盤をつくりました。1893年(明治26年)には水力発電所を開発し、本館裏に発電所を設けました。これに先立ち、1891年(明治24年)に竣工した本館には、火力発電による電灯がともされ話題となりました。富士屋ホテルの発展が、街の近代化とリンクしていたことがわかります。
2020年に誕生した新生富士屋ホテルには、環境への配慮が随所に見られます。
客室では、まず使い捨てプラスチック削減の観点から、客室で提供する飲料水をペットボトルから瓶ボトルに変更、スウェーデン製のウォーターシステム「ノルダック」を採用して、浄化した水を瓶ボトルに詰めて提供しています。もちろん瓶ボトルは繰り返し使います。
また、新たに採用した専用のアメニティバッグは、素材メーカーの技術協力を得て実現した環境配慮型のアメニティです。帝人フロンティアのリサイクルポリエステル繊維の不織布を採用、国産玉ねぎの外皮の色素を使用して小松マテーレの染色加工技術で製作したものです。
客室の寝具については、良質と言われるハンガリー産のグースを使用、一定期間使用した羽毛は富士山の天然水で水洗いして繰り返し使用します。
このほか、プラスチックストローから生分解性ストローへの切り替え、バスアメニティはポンプボトルに詰め替えて使用するなど脱プラスチックの取り組みや、LED照明の導入、空調機コントロールといったエネルギー使用量の削減と、大規模改修を機にさまざまな見直しを行いました。
環境対策のほかに、伝統・文化をいかに継承するかが大改修にあたって重要なポイントでした。多くの建物が登録有形文化財のため、文化的遺産を残しつつ耐震性を備えなければならず、客室は一部屋ごとに基礎から改修する必要がありました。柱材などは再利用しながら、防音機能をプラス、バリアフリー化、外観はそのまま残して化粧直しを施すという手間暇のかかる、難しい工事になりました。家具・調度品については、歴史のある貴重なものも多かったため、いったんすべてを運び出し、家具の再生を専門に行う家具職人たちに託して補修しました。移動した家具類はなんと10トントラック50台分ほどになったといいます。
同社が運営する仙石ゴルフコースでは、ウッドチップを利用したバイオマスボイラーを新たに導入、ゴルフ場内クラブハウスの浴場やレストランの給湯に利用しています。従来の重油からウッドチップに変更したことにより、クリーンなエネルギーの使用とCO2削減による気候変動対策の一助になることが期待されています。ウッドチップは廃棄されていた近隣の森の間伐材を利用したもので、地域の森林保全にも貢献しています。
ホテルでの勤務時間は不規則になりがちなこともあり、職場環境の整備の一環として保育園の運営も行っています。子育て世代の働きにくさが解消されたと好評です。自社従業員に限定せず、近隣のホテルや旅館の従業員や、地域住民の利用も受け入れています。
同社の取り組みは、ゴール11(住み続けられるまちづくりを)を中心に、ゴール7(エネルギーをみんなにそしてクリーンに)ゴール12(つくる責任つかう責任)ゴール13(気候変動に具体的な対策を)などその他ゴールに広く貢献しています。
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記事作成者:運営事務局
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